Leading the next generation
伸び伸びと世界に飛び立つ
御前崎の兄弟
PROFILE
石井孝良 颯太
Ishii Brothers (Takara & Hayata Ishii)プロウインドサーファー
御前崎の大会で見た海外選手のパフォーマンスが、孝良の人生の進路を変えた
WATERMAN’S TALK(今月のウォーターマン)は、毎号一人の(今月は二人ですが)WATERMANを紹介していく連載企画です。WATERMANの一般的な定義はありませんが、ここでは「海が大好きで、海に感謝の気持ちを持ち、海の窮状を目の当たりにして、海のために何か行動を起こしている人物」とします。11回目は若手プロウインドサーファー石井孝良(たから)、颯太(はやた)兄弟です。
お兄さんの孝良くんは21歳、マウイのアロハクラシックのユース部門で3位に入賞したのをきっかけに世界を回りはじめ、今ではPWAワールドツアーの強豪と対等に戦うトッププロとして評価が高まっています。弟の颯太くんは16歳の高校2年生。お兄ちゃんに追いつけ追い越せと、ものすごい勢いで急成長している注目株です。
お父さんはプロウインドサーファーであり、キッズのウインドサーフィンプログラムを立ち上げた石井久孝氏。御前崎で生まれ育った二人は最高の環境の中でウインドサーフィンを楽しんできましたが、彼らが世界を相手にするトップアスリートに成長できたのは、不断の努力と強靭な気力、明確なビジョンがあってこそ・・・若いながらも彼らの生き方は、私たちの人生にも大きなヒントを与えてくれるように思います。
(※この記事は今年3月の御前崎での大会の直前と、大会後の4月に追加インタビューした内容をまとめたものです)
━━━ まずは孝良くん、ライバルであり逗子在住の仲間である杉匠真選手と共に、西アフリカのカーボベルデの大会でそれぞれ6位と8位に入賞、おめでとうございます。そしてその後の日本でのIWT の大会、今回はコロナ禍で海外選手が参加できなかったとはいえ、最高の風と波、これぞ御前崎というコンディションの中で優勝、そして弟の颯太くんも3位に・・・本当におめでとうございます。勢いに乗ってる感じですが、調子はいかがですか?
T 調子は僕も颯太も絶好調です。数週間前にマウイに来て、毎日かなり濃密な練習ができています。
━━━ カーボベルデでの入賞は、世界の強豪を相手に堂々としたもので、孝良選手のそりかえったエアリアルの写真があらゆるメディアでハイライトとして紹介されていて、日本でもみんなが湧きかえっていました。
T カーボベルデの波は今まであまり乗ったことのないような波だったし、大会前にそこでは波があがってなくて、練習なしの最初のヒートが初めてそこで乗るという感じだったので、なかなか感覚がつかめず、そのヒートでは残念ながら負けてしまいました。でも、その後自分で乗ったビデオや人のライディングを見て研究し、何が大事なのかがわかってきて、ルーザーズではどんどん勝ち上がることができて嬉しかったです。
━━━ 研究して何が大事だとわかったのですか?
T 波が小さいと割れないのでセットの波を取らないといけない。そしてセット感覚が長いのでセットが来た時に自分が一番いい波を取れるポジションにいること、あとはただ真っ直ぐスピードをつけてエアリアルするだけではあまり点数にならないので、きちんとボトムターンから入ってエアリアルにもっていくこと。インサイドに攻め過ぎると玉砂利の様な岩場なので、それをみんな嫌がっていたけど、俺はマウイのロックで鍛えられていたのでそれに比べたら全然大したことないと感じて結構攻めることができたと思います。
━━━ 内容が前後してしまいますが、二人がウインドサーフィンを始めたきっかけ、今までの経緯を簡単に教えてください。
T 俺が始めたのは5歳の時、父たちが御前崎でキッズのウインドサーフィンクラブをスタートさせたので、そこが始まりです。ただ最初はやるといっても誰かに乗せてもらったり、水遊びの延長みたいなものでしたけど、たくさんの子供と遊べるし、楽しかったので大好きでした。
真剣にやり始めたのは小学生になってから、そして本気で上手くなりたいと思ったのは海外の選手が御前崎の大会に来て、すごいパフォーマンスを目の当たりにしたのがきっかけです。それ以来、めちゃくちゃ練習するようになりました。その大会を見るまでは普通の高校に行く予定だったんだけど、プロになってウインドサーフィンをとことんやりたいと思い、通信の学校に進路を変え、それからはずっとできる限り海外に行って練習したり大会に出て、今に至ります。
H 俺が始めたのは孝良と同じで5歳くらいの時。クラブから始まって週末に同年代の友達と一緒に海で遊んだり、みんなでレースの遠征に行ったりとか遠足気分で楽しかったです。兄が既にやっていて、選手として活動するようになったのを見ていたので、自分もあんなふうになりたい、やりたいって思っていました。でも体も小さかったし、ウエイブを始めたのはもうちょっと先で、最初はキッズクラスのレースとかやっていました。
━━━ 小学校高学年の頃の颯太くんを覚えていますが、かなり小さかったですよね。道具を運ぶのも大変そうでした。
H 大変だった・・・と思います、父が(笑)。
━━━ お父さんは当時トッププロ選手としてウインドサーフィンの大会に出ていたし、オンズカンパニーで業界のビジネスにも関わっていたので、なんでも知っているコーチみたいな存在だったと思いますが、ウインドに関して二人には厳しかったのですか?反発したこととか、もうウインドなんてやりたくないと思ったことはなかったですか?
T 本人から直接聞いたわけではないんですが、父はあえて俺たちのウインドサーフィンに対する行動に口を出すまいと決めていたらしく、だからあまりいろいろと、こうしろ、ああしろと言われた記憶はないです。とにかく楽しく自由にやらせてもらっていたので反発することもなかったし、いつも楽しくやっていました。
今でもプロとしてどう活動していきたいかは全て自分で考えなさい、でも親としてバックアップできることはできる限りする・・・そんなスタンスですね。長男がある日、急に高校・大学には行かず、通信に決めて海外に行きたいと言い出したら、普通の親はびっくりして反対すると思うんですが、ちゃんと話し合って理解してくれてからは100%応援してくれています。
━━━ お父さんのどういうところを尊敬していますか?
T 海が好きなところ。とにかくウインド、海に対する情熱は、俺たちなんかとは比べ物にならない。仕事で朝しか海は入れないけど、どんなに寒くても海に入っているし、コンディションが悪くてもブツブツ言いながらも必ず入っている。そんなところを見ていると、好きでいることの大切さを教えられるし、環境に甘んじず努力しなくちゃって思います。
H 僕も同じです、ウインドサーフィンに対しての情熱は、僕らもかなわないくらい。印象に残っているのは父が選手として最後に出た大会。そんな昔のことじゃないけど、俺はまだロングボードで乗れるか乗れないかの頃、父はヒートで負けちゃったけど、それを見ていて「負けちゃいましたけど、なんかすげーかっこいーっ」て思いました。
━━━ 孝良くんは高校を通信高校にすると決心した時に、真剣にプロとして世界でやっていこうと決め、その後まだ15、6歳の時に単身で海外に長期で行っていましたよね。それは全てが楽しくて充実していたわけではなかったと思いますが、辛かったこと、大変だったことは?
T 通信に行くことを決めたきっかけは中学3年のときの御前崎で見た海外選手のパフォーマンスがあまりにかっこよくて、あんなウインドがしたいと思ったのがきっかけだったわけですが、それでどうしたらいいのか、いろんな海外の選手に聞いたらPOZO(大西洋の真ん中にあるカナリー諸島のポイント。風がよく吹き、ウインドサーフィンの人気スポット)に行くのがいいと言われたので、まずはそこに行こうと思いました。でも高校一年生で、一人で行動するのも初めて、自炊もしたことなかったし、スペイン語も一切喋れない。ドイツで飛行機に乗り遅れちゃったりして、英語もそんなに喋れなかったから、そんなトラブルも自分一人で対処していかなくてはならなくて大変でした。食事はスーパーとかでウインナーとか買ってきたり。楽ではなかったです。
━━━ じゃあ、いつ頃、遠征とかでもそれほどストレスにならずに「俺、成長したなー」って思えるようになりましたか?
T うーん、マウイに颯太を連れてくるようになってからかな。つまりつい最近、去年の秋ですけど。まあ慣れとか年齢もそうなんですけど、颯太を連れていることで、自分が責任持ってしっかりしなくちゃという意識ができたのでずいぶん変わりましたね。その前にポゾとかにも連れて行っていたんですけど、まあ、だんだんと、ですね。
週3回のトレーニングのテーマは「スタミナ」「パワー」「バランス」「リズム」
━━━ 今では世界のプロの中でも常に上位に入ってくる選手として認められていますが、いつ頃から世界でもやれるという手応えを感じ始めましたか?
T 初めて海外に行き始めた次の年くらいですね。
━━━ そんなに早くから!
T 最初はユースの大会で成績を出し始めて、プロのレベルではなかったですけど、同じところで見ていて、だんだんそれに近づいていけるって思ったし、2年後くらいにちょこちょこIWT(インターナショナルウィンドサーフィンツアー)で入賞とかするようになったので。
━━━ 今まで出場した大会で、優勝した大会に限らず、一番自分にとって嬉しかった大会ってありますか?
T 二つありますね。やはりこないだのカーボベルデはいい波の中でトップ選手とやりあっての4位、そのうえ一回戦で負けてからルーザーズで勝ち上がり続けての成績だったので嬉しかったですね。あとは20I7年だったかな、モロッコでのIWT大会で初めてファイナルに出られたんです。結果は4位だったんですけど、アントワン・マーティン、モーガン、ボジュマとの決勝だったので、そのメンツでファイナルっていうのは興奮しましたね。
━━━ 颯太くんはまだ免許がないので車は運転できないし、孝良くんに連れて行ってもらう形で活動しているわけですが、それはアドバンテージでもあるしディスアドバンテージでもあると二人とも認めているようですが、それについて教えてください?
H やはり僕にとって兄貴が先に道を開いて行ってくれているのでやりやすいということはあります。情報も入ってくるし、海外にも一緒に行けるので、そこまでストレスや緊張もない。ありがたいことだけど自分で道を切り開いていけない。その点はすごく引っかかってます。まだ自分独自の行動を起こしたくても動きが取れない・・・あと4年は一人で動けないかな・・・車を海外でも運転できるようになって、もっと自分なりのアプローチを考えて行動できるようになるのが待ちきれないです。一人で行動したいっていつも思ってます。
特に練習面で一緒に行動していたら同じことしかできない。自分なりの練習、お兄ちゃんを越える練習ができない。同じだけ練習し、同じだけトレーニングしていたら、レベルが上のお兄ちゃんを越すのはなかなか難しい。だから技にトライしまくって同じ時間でも多くトライするとか、ジムにも一緒に行っているんですけど、ちょっときついメニューにしてもらったりしています。いつか必ず勝てるようになりたいです。
━━━ カーボベルデから帰ってきてすぐ日本での大きな大会、孝良くんはもちろん優勝を期待されていたと思うし、颯太くんはお兄さんに勝ちたいという目標を達成するチャンスでもありましたが、結果はお兄さんに軍配が上がりましたね。とはいえ兄弟で、ワン・ツー フィニッシュは素晴らしいですね。
H 風も波も文句なしの御前崎らしいコンディションで、最高でした。ファイナルで兄弟対決になり、これは勝つぞって燃えてたし調子も良かった。敗因は2ウエイブピックアップだったんですけど、しょっぱな一本目に9点台がでたんです。で、これはいける!って余裕かましてたわけではないんですけど、二本目がいい波をつかまえられなくて。お兄ちゃんはしっかりヒート終了までに、着実にいい波を二本つかんでいて負けちゃいました。お兄ちゃんに勝つのは次の大会までお預けです。
━━━ マウイでの生活のルーティーンを教えてください。
T 朝9時頃に起きて、朝ごはん食べて、弁当を作って、海に行って、昼ごはんを食べて、ウインドをして、ジムに行って、晩ご飯を食べて、寝る・・・極めてシンプルです。あと最近、共通のアニメをご飯の時に二人で見ています。王様ランキングっていうアニメです。オフの日は溜まった洗濯したり買い出しに行ったりですね。
━━━ トレーニングについてシークレットじゃなければ教えてください。
T 大体週3回くらい行っています。まずは自分のウインドの予定とかスケジュールを決めて、それに合わせてプログラムを組んでもらうんですけど、大会とかがあれば大会にベストコンディション、ピークに持っていけるような組み方で。週ごとにそれをトレーナーに送って、週ごとにメニューを組んでもらっているんですけど、週に3回くらいジムとか自宅でトレーニングをして、一回オフを作って、また3回やるって感じですね。
━━━ そのオフっていうのは海もオフですか?
T まあ、マウイでは乗っちゃう時もあるんですけど。でかいうねりが入ってる時はそのオフをなくして別の日に休むってこともよくやります。
━━━ 週3回のトレーニングっていうのは、二人とも同じメニューですか?
T 基本は同じですが、トレーニングにはいくつかの項目があって、スタミナ、パワー、バランス、リズムはそれぞれのためのトレーニングプログラムが送られてきます。
━━━ リズムっていうのはどういったトレーニングをするんですか?
T まあ、ちょっと変わった極秘のトレーニング(笑)。ウインドサーフィンもリズムのトレーニングの中に含まれます。それぞれの項目を何時間って書いてあるんですけど、トレーナーさんが大会に合わせて時間を調整してくれて、大会の当日にやるトレーニングもあるし、ヒートの直前にやる、体を目覚めさせ100%のパフォーマンスが出せるようにするトレーニングとかもあります。トレーニングが、例えばパワーだけに偏りすぎるとよくないので、偏らないようにトレーナーさんが気を配ってくれます。
━━━ 選手というのは、自分でやろうとしてもプログラムが偏ってしまったり、モチベーションが上がらずサボりたくなる時もあるけれど、トレーナーの存在は、選手のモチベーションを上げたり、選手を飽きさせなかったり、あるいはトレーニングのしすぎで体を痛めたりしないために、とても重要でしょうね。
T 一人ではなかなかここまでやるのは難しいです。やる気もキープできないし。
━━━ ではスタミナ、パワー、バランス、リズムの中で一番苦手というか、辛いのはどれですか?
T やはりパワーがしんどいかな。
H 俺はスタミナが足りないですね。パワーももちろん足りないですけど、最近はスタミナが足りないなと感じます。
━━━ では好きなトレーニングはどれですか?
T きついのはそうなんですけど、やはりパワーとバランスは筋トレのコアトレーニングなのでやりがいがあるというか達成感があるから好きです。
H 俺もそうですね。特にパワーは一番弱い部分なので余計そこは頑張りたいって思うから。
運はみんなに回ってくるもの。プロとしてやっていく条件は、自分に回ってきた運を確実につかむこと
━━━ 今までに挫折を感じたことはありますか?
H まだあまり思いつかないです。やめたいとかやりたくないと思ったこともないし、怪我も今のところないです。とにかく乗りたい、練習したい、上手くなりたい。
━━━ 孝良くんの場合は大怪我をしてウインドができない時期がありましたが、怪我をすると練習ができなくて焦りも出るだろうし、落ち込んだりしませんでしたか?
T まあ、ひたすらウインドのイメージを妄想してましたね。落ち込んでも仕方ないので。あとは漠然とした目標ではなく、明確な目標を作ったり、プランを立てたりしていました。例えばコロナでいろいろと変わったんですけど、今年はマウイでとにかく練習、そして来年はポートに標準を当てたいと思っています。
━━━ 怪我して落ち込むウインドサーファーは多いと思うんですけど、そういう人に何かアドバイスはありますか?
T 落ち込んでいてもいいことはないので、それをステップにどう乗り越えて、どう成長するかにフォーカスすることですね。あの怪我の経験があったからこそ、こういう学びがあったとか思えるように。
━━━ あまり人には知られていないけど、自分って実はこうなんですという面はありますか?
T 結構よく言われるのが、常に海にいる感じのイメージらしいんですけど、実はゲームとか大好きなんで、ウインドがなかったらずっと家にいるたと思います。
H 俺は意外とネガティブです。結構明るめにふるまっているけど(笑)。
━━━ 颯太くんはネガティブといいましたけど、ネガティブになって落ち込みそうになったり、やる気が出なくなりそうな時は、どうやってそれをポジティブに戻すんですか?
H 俺の場合、けっこう音楽が好きなんで、テンションの上がるような音楽をかけて気分アップさせます。
━━━ ウインドしたくないっていうくらいネガティブになることはありますか?
Hそれはないですね(キッパリ)、そういう意味では海という存在は大きいですね。
━━━ 二人とも英語が上手だし、今でもかなり勉強していると聞きましたが、やはりプロウインドサーファーとしてやっていくにあたって英語力は大事だと思ってのことですか?
T 確実にそうです、必須ですね。何よりコミュニケーションに必要だし、一緒に旅する仲間とも普通に会話できないとつまらないじゃないですか。大会の時だけでなく、生活全般においてグローバルに生活しようと思っていたら言語は大事ですね。
━━━ 最初は苦労したと思いますが、どんな時に上達したなって思いました?あるいは自分がこうしたから上手くなったというのはありますか?
T 一気に上達したなって思ったのは、最初は一対一なら頑張って話せたんですけど、大勢いるとやはりみんな早口になるし、自分も会話に入りにくい感じがあったんですが、ある時チリでモーガンとアントワンと三人で3週間くらい同居したことがあって、そこでやっぱりずっと英語だったので上手くなりましたね。やっぱり日本語を一切話さない環境に自分を置くってことですかね。
H 俺はまだ英語めちゃ上手いわけじゃないんで。
━━━ でも発音がいいし、普通自分より上手い人の前でも物おじせずにいろいろ話そうとするよね
T そうかもしれないですね。
H 俺は常に英語に触れ合っているようにしています、日本にいても洋画は英語の字幕で見たり、英会話レッスンを受けたり・・・会話やコミュニケーションをとることにストレスフリーになることでウインドの大会へのストレスも減るはずなので。
━━━ プロとしてやっていくための条件はなんだと思いますか?
T ウインドサーフィンの実力もそうですけど。熱量が大事。そして運を自分のものにすること。運て多分みんなに回ってくるんですけど、自分に回ってきた時にそれをしっかりつかんでモノにすることかな。自分に回ってきた時に、それを勝負の日にできるかどうかは大事だと思います。
H とにかくそのスポーツをどれだけ好きになるかじゃないかな。誰よりも好きになることが一番の方法ですね。そのための準備であり、練習であり、だと思います。
━━━ 今は選手としてのトレーニングと大会を転戦するだけで大忙しで、なかなか他の活動をする余裕はないと思いますが、孝良くんはSHARE という様々なマリンスポーツの若手プロが集まって、いろいろなインフォメーションをシェアしたり、それぞれのスポーツへの理解を深めようとするグループに入っていますよね。
T そうですね、あれはなかなかいい活動だと思います。軽く誘われて入ったんですが、サーフィンやサップなどは特にルールとかマナーとかいろいろあって、そんなところをもっと多くの人に楽しく広めていこう、そしてそれぞれのスポーツへの理解を深めて、同じマリンスポーツ同士でいがみ合うんじゃなく協力しあっていい雰囲気と環境を作っていこうっていう活動です。環境問題もゴミを捨てないでとただ言うだけでは説得力がないけど、ゴミを捨てるとどういうことになるかなど、もっと深く知ると違うんじゃないかと思います。
━━━ 好きな言葉はありますか?
T 「雨垂れ石を穿つ」。今回のカーボベルデでも感じたけれどPWAで上位に入賞したのは、多分日本人初だと思うんです。でも実力もそうなんですけど、僕らの代だけでなく、例えば石原さんたち、そして聞いたらその前にはたかさんとかが頑張ってきたことをカーボベルデでジョッシュにも聞いたんです。そういう過程があって僕たちが活躍できているという長い日本のウインドサーフィンの歴史があってこそだと思います。
H 「継続は力なり」。ウインドでもスケボーでもトレーニングでも毎日コツコツやること、努力して努力して築き上げたものは身に付く。練習しないで勝ったとしても、頑張って頑張って勝った時とは嬉しさが違うと思う。
━━━ 今後の目標はありますか?欲しいものは?
T 今年は全ての大会で優勝を目標に挑みます。欲しいものは・・・質の良いバスタオル(笑)。
H まずはアロハクラシック、あと兄貴に勝ちたい。欲しいのは彼女です(笑)。それとこの冬はジョーズに入れたら、と二人とも思っています。
◎インタビューを終えて
今年はマウイにフォーカスを置き、冬にジョーズで乗るために何をする必要があるか、何を準備すべきなのかを考え始めた二人。ライディングも目指すスタイルも少しずつ違いはあるが、兄弟で行動し、切磋琢磨できる環境は素晴らしい。そして恵まれた環境に甘んじることなく、毎日彼らのセールを海で見かけるたびに全力でできることの全てを行なってトップを目指している姿勢を感じる。まだまだこれから、好きなことを一所懸命やっていた父親がかっこいいと言っていた二人だが、父親の背中を見て自分たちも好きなことを全力で頑張り続けている。