CULTURE

風を感じる万葉びとの話

MANYOSHU
2022年4月30日
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場違いな原稿依頼

そんな馬鹿な! と私は叫んだ。

日本ウインドサーフィン協会から、原稿依頼。私は、この30年というもの、海水浴もしたことのない、古典研究者で、しかも老教授。そんな、私に何の用である。急いで、依頼先に電話したのは、いうまでもない。そこでようやく、サーフィンと、ウインドサーフィンが別物であることを知った。あぁ、帆が付いてるやつですかぁ、くらいの認識なのだ。では、『万葉集』の研究者の私に求められているのは、いったい何か? 8世紀のなかごろにできた歌集の研究者に、いったい何の用が――。聞けば、「日本人の自然観」を書いてほしいということであった。まいった。手も足も出ない。どうしよう。

一週間、煩悶したが、はたとひらめいた。風だ。風をどう感じて、それがどういう歌になっているか、書けばいいのだ。ウインドサーフィンは、風を感じるスポーツではないか。ここは、風しかない。

万葉びとは如何に風を感じたか

風はよい。自由に山を越えて行くから。山を越える風なら、愛しき故郷から、吹いてくる風。いや、愛しき故郷へと吹く風か。愛しき故郷には、愛しき妻が待っている。そんな、歌がある。よし、ここは、日本ウインドサーフィン協会のために、新訳を造って進呈しよう。巻1に収められている歌だ。

讃岐の国の安益の郡に、舒明天皇が行幸なさった時に、軍王が山を見て作った歌

霞が立って 日が長くなった春の日
その春の一日が いつ暮れたのかもわからぬほどに
むらきもの 私の胸は傷む――
ぬえこ鳥のごとくに しのび泣きをしていると
玉襷を懸けるというのではないけれど 心に懸けて想えというかのごとくに
遠い昔の神のごとくに尊き 我が大君の
行幸の 山を越す風が
ひとりいる 私の衣の袖に
朝な夕なに 帰ろう帰ろうと吹き返してゆく……
だからだから 「ますらお」と 自ら任ずる私も
草枕の 旅路にあるがゆえに
思いを晴らす すべもわからず
網の浦の 海人娘子たちが
焼く塩のように ただただ焼け焦れているばかりなのだ
それこそが わがの心のうち――
(巻1の5)

天皇の旅にお供をしている俺は、立派な男すなわち「ますらを」だ。なのに、旅先でホームシックに。その時に、山越の風が、吹いて来たというのである。

風を感じて生きるということ

山から浜に吹く風、その風にどう乗るか。山越の風をどう避けるか、ウインドサーファーは、日々思案していることだろう。いや、風を感じることが考えることであり、即動くことかもしれない。感覚と思考と動作の分離なんてないはずだ。感じることで、体が自然に動いているというレベルでないと、ウインドサーフィンもダメなはずだ。

ちなみに、万葉の海といえば、海で働く海人の娘がよく連想される。製塩は女性労働で、塩は海水の濃度を上げ、焼いて作るので、恋焦がれる者の比喩に使われるのである。

万葉びとの山越しの風と情感

先ほど、示した拙訳のもとになっている書き下し文※は、下記の通りである。これも、私なりに作った書き下し文である。
※漢文を訓読し、日本語の語順に従って仮名を交じえて書き直した文章

讃岐【さぬき】の国の安益【あや】の郡【こほり】に幸【いでま】しし時に、軍王【いくさのおほきみ】が山を見て作る歌

霞立つ 長き春日の
暮れにける わづきも知らず
むらきもの 心を痛み
ぬえこ鳥 うら泣き居【を】れば
玉たすき 懸けのよろしく
遠つ神 我が大君の
行幸【いでまし】の 山越す風の
ひとり居【を】る 我が衣手【ころもで】に
朝夕【あさよひ】に かへらひぬれば
ますらをと 思へる我れも
草枕 旅にしあれば
思ひ遣【や】る たづきを知らに
網の浦の 海人娘子【あまをとめ】らが
焼く塩の 思ひぞ焼くる
我が下心
(巻1の5)

万葉の風は、いうまでもなく、情感と結びついている。つまり、風で嬉しくなったり、悲しくなったり、するのである。取り上げた歌は、任務にいそしむ役人の歌だが、それでも大和の飛鳥から離れ、四国に渡り、現在の香川県綾歌【あやうた】郡東部まで来ると、故郷のことが思われてならなかったのである。

とここまで書いては見たが、それでウインドサーフィン協会に出す原稿としては、どうかと思う。が、しかし。私には、風を感じて生きた7世紀後半の歌について語ることしかできない。お許しを。終わりに、語釈を付けておくことにする。

万葉学徒とウインドサーファー。これほど、相性が悪く、これほど、意外な組み合わせもあるまい。万葉学徒の人生の中でも、えっ、ホント、アワワという次第であった。しかし、風に救われた。海に救われた。この原稿を期に、61歳の私が、ウインドサーファーになったら、面白いかもしれない。

香川県綾歌郡 現在の里山の風景
香川県綾歌郡 現在の里山の風景

〈語釈〉
〇讃岐の国の安益の郡に幸しし時 
現在の香川県綾歌【あやうた】郡東部に、舒明天皇が行幸した時の歌。
〇軍王が山を見て作る 
「軍王」を「コニキシ」ないし「コニキシノオホキミ」と訓んで、百済からやって来た人物ないしその子孫とする説もあるが、証明が難しい。したがって、「イクサノオホキミ」と訓んで、未詳の人物であると考えるべきであろう。とすれば、『万葉集』にしか名前を留めない人物ということになるが、舒明天皇の行幸従駕者のひとりであったということだけは、この題詞からわかるのである。「見~作歌」とは、特定のものを見て、その感動を伝えるために作られた歌ということを示す題詞の型の一つである。この歌の場合、それは「山」であった。
〇霞立つ 長き春日の  
「霞立つ」は、「春」に係る枕詞と考えてよいが、ひとつの情景としてここでは歌われている。霞が立ち、日が長くなって、春を感じる、と考えてよい。
〇暮れにける  わづきも知らず  
「わづき」は未詳の語。「たづき」なら、ものや事柄の状態を示す言葉だが、「わづき」についてはわからない。前後の文脈から、いつ暮れたかもわからない、と解釈されることが多い。
〇むらきもの 心を痛み 
「きも」は、内臓のことであるが、多くの内臓を「むらきも」といったのであろう。内臓から心情が生まれる、という考え方が古代社会にはあり、「心」に係る枕詞となったものと思われる。
〇「を痛み」 
【を/み】は、いわゆるミ語法で、「ので」と訳されることが多い。
〇ぬえこ鳥 うら泣き居れば  
「ぬえこ鳥」は、現在のトラツグミと考えてよい。その鳴き声を「うら泣き」の声と感じたのであろう。ために、「うら泣き」の枕詞となっている。「うら」は、表からは見えないところの意味で、心のことを指す。したがって、「うら泣き」とは、心の内で泣くとか、心が動かされて泣く、という意味と考えておけばよい。
〇玉たすき 懸けのよろしく 
「玉たすき」は、見事な襷のことで、襷は肩に懸けるものであることから、「懸け」の枕詞になった。「懸けのよろしく」は、心に懸けるのにうってつけ、という意味である。
〇遠つ神 我が大君の  
「遠つ神」の「遠つ」は、遠い昔々の、という意味。昔の神から血統が続いているということを表すので、「我が大君」に係る枕詞となった。
〇行幸の 山越す風の 
「行幸(イデマシ)」は、「イヅ(出づ)」を尊敬のかたちにした語である。それは、「ミユキ」と同じく天皇の旅をいう言葉として使われる。山は、土地と土地を隔てるもの。旅するということは、いくつもの山を越えてゆくということである。その動かない山を、風は自由に越えてゆくのであり、だから、山越しの風は、望郷の念を抱かせるのである。
〇ひとり居る 我が衣手に  
この場合の「ひとり」は、家にいる妻と離れて、という意味の「ひとり」である。「衣手」の「手」は、接尾語で、手の部分をいうので、袖の部分が想起されているとみておいてよい。したがって、袖の部分を想起しながら、衣全体を表す表現ということができる。
〇朝夕に かへらひぬれば  
朝夕に風が袖を吹き返すことが続いていることを示す表現。風が止んでは吹き、吹いては止む、という繰り返しになっているというのである。その風を感じるごとに、望郷の念が募るというのである。
〇ますらをと 思へる我も  
「ますらを」とは、立派な男性を示す言葉である。ただし、その内実は、男の強さによるものなのか、官人としての立派さなのか、都びととしての雅さなのか、文脈によってさまざまである。ここでは、天皇の行幸に従っている者は、故郷に残した妻のことなど顧みてはならない、という官人としての規範があるために、自らを貶めてこう表現しているのである。
〇草枕 旅にしあれば 
「草枕」は、「旅」に係る枕詞だが、野宿に代表される旅の辛さを想起させる言葉であった。
〇思ひ遣る たづきを知らに
とらわれとなっている思いを心の内から外に追いやることをいう。「たづき」はここでは「方法」のことなので、心を晴らす方法がわからないといっているのである。
〇網の浦の 海人娘子らが 焼く塩の  
「網の浦」は、現在の香川県坂出市の海岸線の一部であろうが、特定はできない。「海人」は漁撈や海運に従事する海の民をいう言葉であるが、海水から製塩も行なっていた。製塩作業の中心は、男性ではなく女性であったがために、「海人娘子らが」というのである。
〇思ひぞ焼くる 我が下心  
実際に見える景色を序として、心情を述べている。「思ひぞ焼くる」は、海人娘子らの塩焼きから導き出されているのである。「下心」は、現在では自分に利益を誘導するために人を欺く心、という意味だが、『万葉集』ではそうではない。外に対する内、表に対する裏や奥、上に対する下にある心ということである。したがって、心の内にあるもの、奥にあるもの、という意味と考えればよい。

文◎上野誠(うえの・まこと)
1960年、福岡生まれ。国学院大学大学院文学研究科博士課程満期退学。博士(文学)。國學院大學文学部教授(特別専任)、奈良大学名誉教授。第12回日本民俗学会研究奨励賞、第15回上代文学会賞、第7回角川財団学芸賞、第20回奈良新聞文化賞、第12回立命館白川静記念東洋文字文化賞受賞。第68回日本エッセイスト・クラブ賞。『古代日本の文芸空間』(雄山閣出版)、『魂の古代学――問いつづける折口信夫』(新潮選書)、『万葉挽歌のこころ――夢と死の古代学』(角川学芸出版)、『折口信夫的思考-越境する民俗学者-』(2018年、青土社)、『万葉文化論』(2018年、ミネルヴァ書房)など著書多数。万葉文化論の立場から、歴史学・民俗学・考古学などの研究を応用した『万葉集』の新しい読み方を提案。近年執筆したオペラの脚本も好評を博している。