WATERMAN'S TALK

Real Hawaii waterman in the making
次代のウォーターマンへの
成長が期待される若きハワイアン

今月のウォーターマン
2022年2月28日
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PROFILE

  • タイ・シンプソン・カネ

    Ty Simpson Kane
    アマチュアサーファー

いつかジョーズのビッグウェイブに乗ること・・・その目標のため8歳から不断の努力を重ねてきた

WATERMAN’S TALK(今月のウォーターマン)は、毎号一人のWATERMANを紹介していく連載企画です。WATERMANの一般的な定義はありませんが、ここでは「海が大好きで、海に感謝の気持ちを持ち、海の窮状を目の当たりにして、海のために何か行動を起こしている人物」とします。9回目はMauiで生まれ育った高校生、タイ・シンプソン・カネ君です。

彼は4歳のときにサーフィンを始めました。幼少時にサーフィンを始める子供はハワイでは珍しくありませんが、彼は8歳の時に初めてジョーズの波を見て心を揺さぶられ、自分がやりたいのはこれだ!とはっきりと自覚したそうです。そしてそのために何をすればいいのかを考え、ジョーズの波に乗るための努力を始めました。8歳でです!

その真剣な思いと努力する姿勢は周りの大人たちを動かしました。決して裕福な家庭に生まれたわけではなく、道具を手に入れるのも困難な彼を、いろいろな人がいろいろな形で応援し、13歳の時、ついに彼は長年の夢だったジョーズの波に乗ることができました。そして、その後も努力を怠ることなく、真のウォーターマンへの道を歩み続けています。

この夏に高校を卒業する彼は、ハワイアンとしての誇りを胸に、自分の可能性を100%発揮できるよう、さらなる夢に向かってアメリカ本土に羽ばたこうとしています。

━━━ まず簡単にあなたのバックグラウンドを教えてください。

マウイ島のノースショア、クアウで生まれ育ちました。今、17歳の高校三年生です。歩けるようになる前から父と一緒に波に乗っていました。自分一人で乗るようになったのは4歳の時です。

━━━ その頃は自分のボードは持っていなかったと思うけど、初めてのマイボードは覚えていますか?

初めて自分用に作ってもらったのはジェッドラウ・サーフボードで、2本目のカスタムはカズマ・サーフボードでした。どちらもマウイのローカルブランドで、いつも僕を応援してくれました。たぶん6歳くらいだったと思います。

━━━ そんな小さい頃からサーフィンに夢中だったんですか?

サーフィンも大好きだったけど、他のスポーツにも夢中でした。野球、サッカーも大好きだったけれど、チームスポーツだったから、自分のスケジュールをチーム優先にするかどうかで悩んで、やはりいい波を逃したくないのでサーフィンを優先することにしました。

━━━ お父さんの影響でサーフィンを始めたのだと思いますが、他にも大きな影響を受けたサーファーはいますか?

父がサーフィンの世界を教えてくれたけど、その後マウイで成長することは本当に素晴らしかった。だって、最高の先輩たちに囲まれて育ったから。イアン・ウオルシュ、カイ・レニー、ペイジ・アームズ、他にもトップサーファーたちみんなにいつもインスピレーションをもらえました。

━━━ カイ・レニーも同じことを言っていました。彼の場合、先輩たちはレアード・ハミルトン、デイブ・カラマ、ロビー・ナッシュをあげていましたが。まだあなたがほんとに小さかった頃、ホノルアベイのチューブをメイクした写真を覚えているのですが、あれは何歳の時だったんですか?当時はモヒカンのヘアスタイルがトレードマークでしたよね。

8歳の時に父に連れられてホノルアでサーフするようになったんです。当時はモヒカンでいろんな色に染めていたから、それでみんなが僕のことを知っていました。

━━━ まだほんの小さい子供だったけれど、当時から波に対する姿勢が真剣だったのが印象的でした。

うん、とにかく早く上達したくてたまらなかった。次に行った時、どうしたらもっと上手に乗れるか、もっと大きな波に乗りたい、いつもそんなことを考えていました。僕の父もビッグウェイブが好きだったので、結構大きな波に連れて行ってくれて、少しずついろんなことを教えてくれたし、彼がいることで安心感もあったと思う。ホノルア以外にもシークレットスポットのヘビーな波にもいろいろ連れて行ってもらいました。

━━━ 怖いと思ったことはなかったのですか?

あまりなかったですね。最初はチャンネルから波を観察し、少しずつピークに近づいていくように父がステップを踏んで教えてくれたから。最初は波に乗らずに見ているだけのこともあったけれど、子供の頃は常にクローズアウトしない大きなチャンネルがあるビッグウェイブのスポットに連れて行ってくれていたので、ひどく痛い目にはあうことはなかった。それが僕のビッグウェイブへの挑戦の始まり、そしてアプローチ方法の学びだったのだと思う。

━━━ ちょうどその頃Deep2Peakのジムのトレーニングにも来るようになりましたよね。ジョーズこそがいつか自分が乗りたい波だと宣言して、そのためにジョーズに乗っているサーファーたちがやっているトレーニングをしたいとジムを訪ねたと聞いていますが。

そう、ジョーズの波を見た時の衝撃はすごかった。ビッグウェイブを目指しているなら、それが目標になるのは当たり前だから。その波に乗るにはどういうことから始めればいいのか考えたんです。

━━━8歳で! (笑)

そう、ほんとに乗りたいと思ったから、すぐには乗れなくても早くから準備を始めたいと思って。ジョーズで乗っているサーファーたちのほとんどがDeep2Peakでトレーニングしていることを知っていたから、僕もそうしたいと思ってサム(ジムの創始者)に相談したんです。当時はキッズ用のプログラムなんてなかったので、僕は大人のクラスに入って脇の方で小さめのウエイトを使ってやったり、個人的に自分に必要なことを教えてもらったりしていました。僕のトレーニング成果を見て、そのうちに他のキッズも参加し始め、キッズプログラムができたんです。今ではジュニアやキッズクラスのナショナルチャンピオンがたくさんここに通っていますよ。

━━━ジョーズの波に乗るためにジムでのトレーニング以外に何が必要だと思って努力していましたか?

トレーニングは絶対に重要だと思っていました。身体が鍛えられていなかったら海ではやられてしまうから。ジムではたくさんのアクティベーションワークをやるんです。必要な動きに正しい筋肉を使うことを教え込んで最大限のパフォーマンスができるように。サーファーはボディービルダーのようにたくさんの筋肉は必要ないし、ないほうがいい。なぜかというと、筋肉はたくさんの酸素を使うから。巻かれた時、筋肉がたくさんついていると酸素を必要以上に使って息が続かなくなるんです。

━━━ どんなアドバイスをもらっていますか?

サムはほとんど毎日のように僕の状態をモニターしてくれて、たとえば大きなうねりが来たり、大会が近くなってきたら、最高のコンディションに持っていけるように、ジムに行ってストレッチやフォーカスするための準備に入れるようにしてくれます。

━━━怪我をできる限り防げるような状態を作ったり、このあいだ来ていた時も、ただアイシングをしてここで体を休めて深い呼吸でいいイメージを浮かべてなさいと言われて仰向けに寝てましたね。

そう、ジョーズの大会があるかもしれない時だったから。そういう時はハードなトレーニングはせず、コンディショニングに力を入れる。健康なものを体に取り入れることなどにも気を遣ってくれる。あとちょっとでも体が思うように動かない時、それが大きな問題になる前に直そうとしてくれる。常にいいコンディションでいて、何が起こってもそれに対応できる精神力がつくようにトレーニングしてくれていると思います。

 
 

ビッグウェイブを乗りこなすための準備は、フィジカルトレーニングのみならず、食生活、生活態度にまで及ぶ

━━━初めてジョーズの波に乗った時のことを聞かせてください

13歳の時、その日はジョーズの大会が開催された日でした。とにかく真っ暗な中、ハーバーから父とジェットスキーでピアヒに向かいました。波はまだそこまで大きくなってなくて、大会もすぐに始まる様子ではなかったので、僕には少し時間があった。最初に乗った波は朝の7時頃、そのあと少しずつ大きい波に挑戦していき、大会がスタートするまでに数本乗れました。

━━━それはパドルで乗ったんですよね

そう、トゥインは次の年までやリませんでした。イアンとショーン・ウオルシュがくれたボードで乗りました。自分のガンボードはまだ持っていなかったけど、彼らがこれを使えってくれたんです。9フィートのカズマボードでスラスターのフィンがグラスオンされていて、まだ13歳で小柄だった僕にはぴったりのサイズでした。

━━━8歳の時から乗りたいと思っていた波にやっと乗れた時はどんな気持ちでしたか?

波を乗り終わった時、チャンネルで僕を待っていたジェットに乗った父を見た時は最高の気分でした。一日中、笑顔が止まらなかった。最初に乗った波は、これ以上うまく乗れないほど完璧に乗れました。チャンネルまで綺麗に乗り繋いで、最後に乗った波は大会が始まる直前で早く乗らなくちゃという焦りがあったかもしれない。テイクオフしたあと、後ろから来たスープにひっかかり巻かれてしまったけど、でもちゃんと浮かび上がってきたから巻かれても平気だという自信にもなり、そしてもっともっと乗りたいという気持ちが強くなりました。

━━━その経験のあとはどうでしたか?

その冬は、その後何回かジョーズで乗ることができて、他の板も試しました。次に乗ったのはクリス・クリステンセンのボードでイアンが乗っていたもの、同じ9フィートだけどクアッドフィンだった、それもよかったんだけど、もっと大きな波に乗りたいという気持ちがあったのでもう少し長い板が欲しかった。翌年はさらにフリーダイビングや呼吸トレーニングにも力を入れました。元々フリーダイブでスピアフィッシングをするから潜るのは得意だけど、もっと本格的に学んで自信をつけたかったので。

呼吸トレーニングをすることで、長い時間息を止めていられるという自信がつき、それがメンタル面でビッグウェイブにおいて役に立つことは分かっていました。最後にトライした時には4分10秒止められて、どんなことがあっても4分も海面に出て来れないことはないから。もしもベストがうまく膨らまなくてもパニックになる必要はないと思えようになったことは大きかったです。

2年目は風のない大きな波が割れたのでクリーンな波にたくさん乗って練習ができ、自信がつきましたね。巨大なサイズは乗ってなかったけど、ある程度どこにいるべきかなどラインナップを把握できるようになっていました。そんな状況でまたジョーズの大会の日も朝早く出て行って、開催前に乗ろうとしていたんです。大会の初日は風が強く、波も巨大になって、途中で中止になったんだけど、その日にカイ・レニーとデレク・ドーナーのおかげでトゥインができて、忘れられない波に乗ることができました。

━━━その時のことをもう少し話してください

その日は波がどんどん大きくなっていき、風も強くなり、危険とみなされて大会が翌日まで延期になったんです。延期になったあとはカイ・レニーのトゥイン・ワンマンショーみたいだった。ルーカス・チャンボはパドルで一本乗ったけどあまりに危険になってきてやめました。カイも翌日のコンテストのために、ある程度乗った後は怪我をしないように早めに終わりにしていました。

僕はその様子を全てチャンネルで見ていました。乗りたくてしかたなかったからカイとデレクのところに行って一本トゥインさせてもらえないかと、ダメもとで勇気を奮って聞いてみたら、カイは快く自分のトゥボードを貸してくれ、そしてデレクがジェットスキーで引っ張ってくれたんです。デレク・ドーナーはトゥインのパイオニアであり、有名なライフガード、レアードの片腕としても知られていました。今はカイ・レニーのセイフティーとして信頼されているけど、ジョーズで初めてチューブに入ったのはデレクなんだ、30年近く前に。実は僕はビッグウェイブでトゥインなんてしたことなかったし、トゥボードでサーフィンしたこともなかったんだけど、全く心配はしませんでした。それより乗りたい気持ちの方が大きかった。デレクがジェットを運転し、その後ろにカイが乗ってサポートにはいってくれ、まだ割れてない波でもはるか沖で大きな水の壁が押し寄せてくる感覚はものすごいものでした。

沖でセットが来るのを確かめてジェットで引っ張られ、セットが来た時にカイが「OK!2番目の波に乗れ」と指示してくれました。沖に向かって走り、大きくUターンし、勢いをつけてその波に乗ったんです。とにかくものすごい大きなチョップが次々に目の前にやってくるのをスキッピングしながらなんとか乗りこなし、チャンネルに向けて突っ走るように視線をロック、ボードのエッジがカチッとハマる感覚があり、それと同時にウエストボールで波がこっちにスイングしてせり上がってくるのが見えて・・・その時、何かすごいことが起こるってことがわかった。逃げて巻かれてもすごいし、そのまま突っ込んで巻かれてもすごいことになる。どちらにしても今まで経験したことのないくらいのすごいことになる・・・。

ボトムでチョップに引っかかってバランスを崩し、自分のポジションが波のハイラインにもっていかれて、フェイスの水の壁はコンクリートのように固く感じられました。次の瞬間バランスを取り戻して背を伸ばした時、僕は巨大なチューブにいて・・・それは2階建てのビルくらいの高さがあり、8台分のバスが入るくらい大きかった。そして空気と水分がチューブの奥に吸い込まれるように動いていた。そしてチューブの中では全てがスローモーションになった。チューブから飛び出した後、またボトムでチョップに引っかかってバランスを崩しそうになったけど、なんとかもちこたえ、もう一つチョップをやり過ごして無事にチャンネルに抜け出たら、そこにはみんながいてものすごい歓声で迎えてくれました。

デレクとカイが最高の波に最高のタイミングで乗せてくれたんです。今でもあれ以上の波はなかったとはっきり言えるほど夢に描いたような波でした。巨大で綺麗に目の前にチューブが広がり、そこから白い飛沫と共に抜け出した。自分でやったとは決して思えない、神がかった経験でした。後でデレクと話してわかったことなんだけど、デレクが初めてジョーズでチューブに入った時に彼をトウインしたのは僕のおじさん、アンクル・ビリーだったんです。ビリーは既に亡くなってしまったんだけど、彼のスピリットがあの日の波に僕を引き寄せてくれたような気がする。デレクもそれを知って、巡り巡った巡り合わせだと鳥肌が立ったらしい。今もあのような波を思い描いて待ってるし、そのためにトレーニングを続けています。あれ以来、あのサイズのうねりはまだ一回しか来ていなくて、その時僕は乗れなかったから、今でもあの時の感覚を求めて待ち続けています。

━━━今まで怖い思いをしたことはありますか?

3年目のシーズンのこと、ピアヒチャレンジのコンテストにワイルドカードで招待され、ヒート終了ギリギリの時に来たセットの一番最初の波に乗ろうとしたんです。終了前にどうしても、もう一本スコアが欲しかったから思い切って行ったんだけど風が強く、テイクオフした時ボードの下に風が入ってバランスを崩し、なんとか着水したものの、前につんのめる感じで転がり、そこに上から分厚いリップが落ちてきて、肩を痛めてしまって。インフレータブルベストはうまく開かなかった。ボードは半分に折れてリーシュに半分くっついていたけど、リーシュを手繰り寄せても全然上には上がれず、もうちょっとで2ウェイブホールドダウンになるところでした。落ち着け!と自分に言い聞かせて30秒くらい経った頃にもう一度ベストを引っ張ってみたらふくらんで、ようやく海面に出ることができました。

その次の波が来る前に2ブレスくらいなんとかできて、その後5本くらいでっかいのに巻かれたけど、ありがたいことに呼吸トレーニングを受けたばかりだったので落ち着いていられたと思う。ジェットが助けてくれた時にはかなりぼーっとしていました。たぶん空気が足りなくて周りが白く見えていたんだけど、それはもしかしたら周りがスープだらけだったからかもしれない。とにかく落ち着いて冷静でいなくてはと、それだけを考えていました。

━━━その後怖くなって乗りたくなくなったり、躊躇するようにはなったりしませんでしたか?

いえ、反対に冷静でいれば大丈夫という気持ちになって、さらに大きな波に乗るモチベーションが高まりました。練習したくても、そんなサイズの波は一年に数回あるかないかなので、波に乗って練習することはあまりできない。だったらその分どうやってそれをカバーすればいいのかを一生懸命考えるようになねりました。

━━━そんな時先輩たちがやってること、あるいはジムでのアドバイスなどが役に立つんですね。

そう、サムが教えてくれることは全てサーフィンに直接関わる動きで、足やコアのトレーニングもこういう時にこういうことができるように、と具体的なイメージを浮かべながらトレーニングできるのでいざそういうシチュエーションになった時、自分はその準備ができていると思えるんだ。例えばわかりやすい例で言えば、巨大なスープが後ろから押し寄せてきた時、踏ん張るにはどうすればいいかとか、チョップで吹っ飛びそうな時にどのようにランディングしたらいいかとか教えてもらいながらコアと脚力をトレーニングしたり。だから実際そこでメイクできると、ああ、トレーニングのおかげだって思える。海の上だけじゃない。食生活、そして普段の生活態度に至るまでどうしたらより良いサーファーになれるか、ビッグウェイブがきた時どれだけ準備ができているか、努力の仕方を示してもらえて、いろいろな面で成長できました。

 
 

ハワイアンとしてのポノ(正義)を忘れずに、一生海と向き合っていきたい

━━━子供の頃から様々なボランティア活動に参加してきたのもそんなことからですか?

トレーナーのサムはパドルイムアやマウイオラに深くかかわっていていつも参加するよう誘ってくれるので、もう9年になります。そして多くの人が海を楽しめるようお手伝いできることで、自分にできることがいろいろあると感じることができたし、これからも海で得た知識や能力をそんなふうに使えたらいいなと思うようになりました。

障害がある人や複雑な家庭にいる子供たちでも海を楽しむ権利は同じだけあるし、たくさんの人にその素晴らしさをシェアしたいと思っています。その手伝いができることは自分も元気にしてくれます。

━━━ハワイアンとしての誇りにも繋がりますね。

ハワイアンは昔から自分の環境と共存することで生きてきました。魚を取り、畑で取れたものを食べるけど、取りすぎない。何もなくても海や山で食べ物をとって生きていけるという自信は、自然とつながっているという感覚にも重なります。ハワイアンにとってはサステナビリティーは当たり前で一番大事なこと。僕はハワイアンとしてどうあるべきか周りの人を見本にしながらいつも考えているつもりです。学校では僕のことを悪くいう人もいる。優等生ぶってる、なんて馬鹿にされることもあるけど、自分が正しいと思うことをやるしかない。何をしても悪く言う奴はいるから、それに惑わされずに良い人間、ハワイアンとしてのポノ(正義、正しい行い)を常に意識していたいと思っています。

━━━大人顔負けのチャージをするので忘れてしまいそうですがまだ高校生、学校ではどんなタイプなのですか?みんなを笑わせて盛り上げるタイプ?アウトローな感じ?スポーツマンタイプ?あるいは真面目なリーダータイプ?

スポーツマンの優等生タイプ、リーダータイプだと思う。トラブルには関わらないようにしています。時には反発を受けたり、真面目すぎると思われるかもしれないけど、このやり方で成長してきて自分の夢を実現してきたことが自信にもつながっている。だからこれからも自分の信じる道を突き進んでいきたいです。

━━━これから先、まだまだいろいろな素晴らしいことが待っていると思いますが、このシーズンの目標、そして5年後の自分、そして将来の自分はどうなっていると思いますか。

今年の夏、高校を卒業するんだけど、秋からカリフォルニアのマリタイムアカデミーカレッジに通うことが決まっています。だからこの冬は、しばらくジョーズから離れる前の最後の冬なので、思い切りやりたいと思っています。大きな波に乗れるボードも用意したし、波待ちの位置も今までより少し奥にポジションを取って大きなセットを取りたい。ジョーズが割れる時は逃したくないんです。

大学に行くにはマウイからは離れるけど、現在ツアーを回れる資金を出してくれるスポンサーがいるわけでもないし、もちろん家にそんなお金もない。それに実際ツアーを回るプロになりたいのかと考えればそれもよくわからない。はっきりしているのは、僕は一生海に関わっていきたいということ、そして大きな波とずっと向き合っていきたいということ。そんな中で、マリタイムカレッジに合格したのはとてもラッキーだったし、ここで4年間学べばその後ありとあらゆる仕事の選択があります。大きな船を動かしたり、海に関するいろんなことを深く学べます。この進路の選択には今のところ疑問は一つも持っていないし、とても楽しみです。ジョーズからは遠くなってしまうけど、マーベリックスが近くなるから、また別の大きな波を学べるチャンスでもあるし、海の近くの大学だからいつでもサーフィンはできる。今プロになって大会に出ようとするより、しっかりとキャリアを積んで安定した収入を得られるようになっても、今と同じくらい真剣に波と向き合える・・・そう確信しています。今だって高校生だから学校があって、よっぽど大きな波でない限り学校は休まないからウイークエンドサーファーだし。

5年後の自分はどうだろう、多分卒業したばかりは学費の借金を返すために働いてるでしょうね(笑)、でもできるだけオフシーズンに働いて、冬はビッグウェイブを追いかけていたいな。可能性は無限大だからまだわからないけど、いつでもハワイアンであることを忘れず、海と関わるライフスタイルを持ち続けていたい。それが僕にとってのハッピーライフだと思うから。

━━━ビッグウェイブに挑戦したいと思う人がたくさんいると思うんですが、そういう人たちにどうアドバイスしますか?

簡単ではないし、危険もたくさんある。思い切りだけでできるものでは決してなく、地道な努力と時間をかけて、ステップを一つ一つ着実に踏むことが大切です。今はビッグウェイブをやろうとする時、誰でもインフレータブルベストを身につけることができる。そしてジェットスキーでのセーフティーシステムもある。でもそれが反対に準備のできていない人を危険に追い込んでいる気もします。まだ大波の経験もないのに大丈夫と思ってしまう人もいるから。それがセーフティーのスタッフまで危険な状況に追い込んでしまう。絶対的なコミットメントは必要で、どんなに上手いサーファーでも、精神的にも肉体的にも110%ビッグウェイブと向き合わないと乗れないと思います。

━━━自分の強みと弱点はありますか?

うーん、長所は限界を知っていること

━━━では今の時点でジョーズにおいて自分の限界はなんですか?

具体的に説明はできないけど、海にいる時にこれ以上はダメだという状況はわかっています。そういう状況になった時に引き下がる勇気は持っている。無鉄砲にやろうとはしない。まだ何年もチャンスはあるからね。弱みは若いこと、かな?多くの人は僕が若いことをアドバンテージのようにいうけど、自由に行動できないし、真剣に何か話してもまだ子供だからってシリアスに受け止めてもらえなかったり、子供扱いされる。でもたいしたことじゃない。これからどんどん行動で示していけばいいことだから。例えばトゥインでチューブの波に乗れた時もあんなの子供が引っぱってもらっただけじゃないかとバッシングも受けた。若くなかったらそんなふうには言われなかったかもと思うと悔しい。でもたいしたことではない。応援してくれる人たちの方が圧倒的に多いから。

━━━どんな大人になりたいと思っていますか?

次の世代にインスピレーションと勇気を与えるような大人になりたい。夢を追いかけている子にそんなの無理だというのではなく、励ましてプッシュしてあげたい。夢に大きすぎるものなんてないって教えてあげたい。

━━━今まで影響を受けた人たちを教えてください。

最初はショーン・ウオルシュがウオーターセーフティーやジェットスキーの操作についていろいろ教えてくれました。9歳くらいのちびっ子だったけど、真面目に教えてくれてすごく嬉しかった。僕もいつかジョーズに入る時のために一生懸命やってた。その後ショーンの兄、イアンがいつも目をかけてくれてジョーズの波について教えてくれたり、エクイップメントやトレーニングなんかでもアドバイスをくれ、本当にたくさんの道具を貸してくれたり提供してくれたりしてきた。本当に感謝しています。ジョーズのラインナップにいるローカルサーファーたちはみんないろいろな形で支え応援してくれている。いつか自分の次の世代がジョーズに入ってくるようになった時、同じようにサポートしてあげたいと思っています。

━━━読者に伝えたいことは?

No matter how old or young you are, you can always chase your dreams.

どんなに若くても歳をとっていても夢を追いかけることはできる。そして試してみなくちゃ夢を叶えられるかどうかだってわからないんだからとにかくトライするべきだ。新しいことにトライしたり、ずっとやりたいと思ってたことをやってみること。やらないと何も始まらないし、人生は一度だけ。あとで後悔したらもったいないから。

 

 

※注
◎イアン・ウオルシュ:マウイを代表するプロサーファー 子供たちが心待ちにするキッズのサーフイベントも開催。
◎カイ・レニー:マウイ育ちの世界的ウォーターマン、ありとあらゆる種目で世界チャンピオン。
◎ペイジ・アームズ:ビッグウェイブワールドチャンピオン。レディースサーファーの中で最もジョーズの波での評価が高い選手
◎ショーン・ウオルシュ:イアン・ウオルシュの弟で、双子の兄弟DK と共に早い時期から聖日ティークルーとして活躍、現在は二人とも消防士として働きながらビッグウェイブが来るとセーフティーとして信頼されている
◎パドルイムア:障がいのある子供たちが外で遊んだり、海でいろいろな経験をする機会を設ける活動をしている組織。50年の歴史を持つ。https://paddleimua.com
◎マウイオラ:Cistic Fibrosis (嚢胞性線維症)という難病に塩水が効果があることから病気の子供たちにサーフィンを楽しませるという活動をすると共にこの病気への知識を広め、多くのサポートを集める活動をしている。
https://www.youtube.com/watch?v=LhBkHK59F1s&t=3