WATERMAN'S TALK

Go big Go inZane!
クレージーなパフォーマンスの内側にあるウォーターマンとしての誇り

今月のウォーターマン
2021年11月18日
main image

PROFILE

  • ゼイン・シュワイツァー

    ZANE SHWEITZER
    プロウインドサーファー
    ※ 「inZane」は「非常識な」を意味する「insane」に由来する造語。ゼイン氏が自分の名前に重ねて日頃よく使っている。

子供だったけど、プロ選手としての心構えや態度は身につけていた

WATERMAN’S TALK(今月のウォーターマン)は、毎号一人のWATERMANを紹介していく連載企画です。WATERMANの一般的な定義はありませんが、ここでは「海が大好きで、海に感謝の気持ちを持ち、海の窮状を目の当たりにして、海のために何か行動を起こしている人物」とします。6回目に登場するのは、前回紹介したマット・シュワイツアー氏の息子であり、ウインドサーフィンの創始者であるホイル・シュワイツァー氏の孫でもあるゼイン・シュワイツアー氏です。ウインドサーフィンのロイヤルファミリーに生まれた彼は、ウインドサーフィンだけでなく、あらゆるマリンスポーツで活躍、さらにサーフスクールやキッズキャンプ、ビーチクリーンといった環境活動にも人一倍熱心に取り組んでいます。地球や海の未来を守っていくためには、ゼイン氏のような次世代のウォーターマンの存在が求められています。

━━━ ウインドサーフィンのロイヤルファミリーとも言える一家に生まれて、小さい頃からウインドサーフィンをしていたのですか?

いや、そうでもない。両親はどちらもプロウインドサーファーだったし、大会にも出ていたけれど、僕ら兄弟が生まれてからは、母はウインドをする時間がほとんどなくなって家事に忙しかったし、父は悪性皮膚癌の治療で海にあまり出られなくなった。とはいえ、家族みんなが海に深く関わっていたし、家の前に海があったからいつもビーチで泳いだり、潜ったり、サーフィンをしたりしていた。僕らの家がある場所はマウイの中でもそれほど風が強い場所ではないので、家の前でウインドサーフィンをする風が吹くことはあまりなかった。それに両親のどちらも、無理にウインドサーフィンを子供にやらせようとは一切しなかった。小さい頃は、ウインドサーフィンの道具は重いから、サーフィンやスケートの方が面白くてそっちばかりやっていたよ。

━━━ ウインドサーフィンを始めたきっかけは?

9歳くらいの頃、キッズ・ウインドサーフィン・キャンプという夏休みのプログラムを、リンダ・スタウトが子供達のために開催してくれて、たくさんの子供が集まり、朝9時頃からお昼頃までビーチでウインドサーフィンをしたんだ。とはいえ、みんな子供だからウインドも楽しいけど、板から水に飛び込むのも、ビーチで砂のお城を作るのも同じくらい楽しかった。何よりみんなで遊べるのが楽しくてしょうがなかった。そこにはすでにウインドサーフィンをやっていたカイ・レニーやコナー・バクスターもいて、彼らはどちらかと言うと教える側だった。他にものちにワールドチャンプになったモルガン、まだ幼稚園児だったカイ・レニーの弟とか、将来ウインドやウォータースポーツに関わることになる子供が大勢いたよ。その時のことは楽しい思い出だけど、僕たちに大きな影響を与えたと思う。ウォータースタート、フットストラップジャイブなんかを全てそこで覚えたし。そしてスターボード社のスヴェインが12歳になった時、スターボードのウインドサーフィンライダーとして僕と契約してくれたんだ。今28歳だからもう16年間もお世話になっていることになる。

━━━ ちょうどその頃何年も開かれていなかったマウイでの世界大会も再開され、そこでキッズクラスが作られ、みんなその大会に出ていましたね。

そう、アロハクラシック。僕らでも知っている有名な大会。そこにプロ選手たちと同じ土俵で試合に出られると聞いて、僕らは大喜びでエントリーしたけど、ほとんどのメンバーがホキパの波に乗ったことがなかった。大会前に1回か2回、波が小さい時に、親のサポート付きで練習しに行ったけど、大会当日はけっこう大きな波で、そんな状況でウインドサーフィンなんてしたことがなかったよ。カイ・レニーだけはすでにホキパで乗り慣れていたので上手に乗っていたけど、彼はキッズクラスには出ていなかった。セットはマストくらいあって、アウトに出られたのはコナーだけだったんじゃないかな。僕は波に巻かれて道具を壊して終わったと思う。
※この大会を観戦していたが、ゼインは波に巻かれた時、マストに向こう脛をぶつけて泣きながら助けられていた、しかし、1時間もするとすっかり忘れてビーチの急斜面でバックフリップしたり砂の上をジャンプしたり、子供たちと遊んでいた(笑)

━━━ ゼインや他の子供たちは確かに初めて出た大会ではみんな波におののいてばかりで何もできなかったけど、その悔しさと大会という興奮に目覚めて、それ以来ホキパにしょっちゅうくるようになりましたよね。そして翌年の大会ではみんなが立派なライディングを見せて感銘を受けたのを覚えています。

そう、あの大会がきっかけで真剣に練習するようになった。そして練習すればうまくなるから楽しくなるし、ジャンプや波乗りができるようになったらさらに楽しくなった。ただ当時はあまりウインドサーフィンが盛り上がってなかったんだ。やっと大会も再開されるようにはなったけど道具をスポンサードしてくれるところなんてほとんどなかったと思う。その一方でスタンドアップパドルが登場し、こっちは一気に盛り上がってきていた。
スターボードもいち早くスタンドアップボードを作り、当時はレアードの板くらいしか出回ってない頃に、ライダーだったコナーと僕に乗ってみないかと連絡があった。もちろん面白そうだから僕らは試してみて、そこからどんどんスピードアップしていって、僕らは二人ともサップレース、サップサーフィンなどで世界中の大会を回るようになったんだ。まだ子供だったけどプロの選手としてあるべき姿勢とか態度は引率してくれていたコナーのお父さんがしっかり教えてくれた。彼には本当に感謝している。そんなわけで、まだ子供ではあったけど選手としての意識はあって、スポンサーの代表としてしっかりやらなくちゃと思って頑張ってたよ。日本に初めて行ったのもスターボードのプロモーションとウインドの大会に出るためで、コナーと僕は日本の人たちにまだ知られていなかったスタンドアップボードのデモンストレーションやクリニックをしたんだ。僕たちはまだ小さな子供なのに。でもその時たくさんの人が上手になって喜んでくれたのが嬉しかったし、自分は人に教えるのが好きで、向いていると感じたんだ。今ではプロ選手として大会を回りながら地元のマウイでキッズキャンプ、そしてサーフスクールでサーフィンやサップ、フォイルやウイングのレッスンをしているけど、スポーツそのものをやらせるというのではなく、海のこと、そして海から得られる学びなども一緒に伝えたいと思っていて、とてもやりがいのある仕事だと思ってるよ。

何より心を揺さぶられるのはビッグウェイブ

━━━ ウインドサーフィン、サップレース、サップサーフィン、そして最近ではフォイルサーフィンやウイングと、いろんなことをやっているので大忙しだと思いますが、どれに一番力を入れているのですか?

どれに一番ということはないけれど、大会が多くあったのはサップレースとサップサーフィンだったのでそのためのトレーニングはたくさんやったし、大会で世界中を回っていて忙しかった。またスターボードのボードデザインにも関わっていたし、自分のシグネチャーモデルもあるので、タイの工場に行ったり、テストしたりもたくさんしていた。
でも正直言って一番心を揺さぶられるのはビッグウェイブ。どんな道具を使うかではなく、ビッグウェイブをどうやって乗るかに一番の関心を持っていて、どんな時でも乗りたいから、風が吹いていればウインドで乗るし、バンピーだったらトゥイン(トゥインサーフィン)で乗りたい。グラッシーだったらパドルで、サップボードでも挑戦したい。そしてまだまだこれから道具の開発も必要だけど、ウイングやフォイルでもジョーズで挑戦したけど、それももっともっと追求したい。
コロナのせいで、僕たちは旅ができなくなった。今まで一年中動き回っていたからジョーズが割れても地球の反対側にいて、それを逃すことも多かった。そしてちゃんと準備ができていなければジョーズに乗るモチベーションも高まらないし、乗るべきでもないんだ。でも去年、一昨年とコロナのおかげでマウイにずっといたから波のことにフォーカスできた、道具の準備、メンタルの準備、エキップメントの準備、そのうえ毎日のようにジョーズの波が割れる期間があって、連続して乗れたことですごく上達した。どんなことでも前の日の反省を翌日治そうとできるのは1番の上達につながるだろう?
そんなわけで僕にとって去年旅をせずにマウイにいられたことがものすごくビッグウエイブにおいて成長できた理由なんだ。

━━━ ジョーズが割れるたびに夜明け前から一番乗りできて、人が少ない時間にはサップボード、サイズが小さい時はフォイルやウイング、そしてウインドサーフィンでも一番大きな波に乗ったという賞を受賞しましたよね

あの受賞は僕にとっては何よりも意味のある嬉しい受賞だった。まずそれを狙っていたわけでもないし、そんな賞があることすら知らなかったんだ。でも風の強く日が多く、ウインドサーフィンでジョーズを攻めるライダーにとっては、去年の冬は今まででベストのシーズンだったんじゃないかと思う。みんながどんどんプッシュしてさらに大きな波、さらにクリティカルなところでのエアーとレベルアップしていた。僕もジョーズの波だけにフォーカスしてそのエネルギーのど真ん中にいられたことはラッキーだった。最高の冬だったけど、今年はさらにああしたい、こうしたいとイメージが膨らんでいるからウインドサーフィンでジョーズに入るのが待ちきれないよ。

アロハスピリットを持って、みんなで海の楽しさを分かち合う

━━━ お父様のマットがマウイのウインドサーフィンの黎明期のことを「毎日のようにデザインが変わり、日々誰かが新しいトリックを考え、そのまた次の日にはみんながトライしている。ものすごいエネルギーに溢れた、本当に刺激的な時代だった。」と話してくれましたが、ゼインはその時代を一切知らないとは思いますが、ウインドサーフィンから派生した新しいスポーツで、父上と同じように、ものすごいスピードでデザインが進化している新しいスポーツの真っ只中にいるのは興味深いですね。

人にはふた通りあると思う。慣れ親しんだものを続けるのが好きな人と、失敗を続けて苦労をしながらも新しいものを始めたり、見つけたりすることに喜びを感じる人。僕も父も、そしてマウイでウインドサーフィンをやっていた人のほとんどは後者なんだと思う。だからみんなカイトをやったりサップをやったり、今度はフォイル、ウイングと、どんどん新しいものに手を出す。でも、その新しいものがなかなかできないんだけど、毎日発見があるという、そのことが楽しいんだ。スタンドアップボード、フォイル、ウイングとたくさんのスポーツにおいてイノベーションの中心にいて、どんどん新しくなっていく過程をみるのは本当にエキサイティングだし、だから父たちがウインドサーフィンで波に乗るようになった時にどんどん変わっていったその勢いとエネルギーがいかに最高だったかはよくわかる。同じ経験を違うスポーツでできるなんてほんと素晴らしいよね。とはいえ新しいものだけではなくハワイに古くからある文化、オーシャンカルチャーも大好きだし、大事にしている。海に対する畏敬の念、そしてアロハスピリットを持って、みんなで海の楽しさを分かち合う。そういう部分は競技とは全く別物で何より大事な部分でもある。そこをサーフスクールやキッズキャンプではしっかり伝えたいと思っているんだ。そこが理解できてなかったらいくら上手でもなんの意味もないからね。だからキッズキャンプではカヌーやロングボードもしっかり取り入れてみんなでチームワークを学んだりもする。

━━━ 今後マリンスポーツのプロとしてどういう活動をしていきたいと思っていますか?

マリンスポーツのプロとして、僕たちは海に精通している人間としての責任もある。環境問題は今すぐに行動しないと後戻りできない状態だ。そんな中、一番海から恩恵を受けている僕たちが率先して動くのは当たり前だし、プロとして持つ影響力をそういった方向に使っていくべきだと思っている。
キッズキャンプではビーチクリーンもするしプラスチックの話をしたり、ゴミを捨てないようにする話もしたりもする。大規模な海岸線のクリーンナップにも大勢参加しているけど、その時に集める膨大なプラスチックや魚網を見ると恐ろしくなる。そんなものに絡まって動きが取れなくなり死んでいく動物がビーチに打ち上がる時もあるけど、打ち上がらずそのまま海で死んでいく動物はその何倍いるのだろう。
大きな波に乗る時、人は決してその波を征服したとは思わない。その波に乗せてもらった。海という大きなパワーの中に包まれ、受け入れられたと感じるんだ。そしてそれが現実、本来僕らは地球のパワーに包まれ生かされているのに、自分が地球をコントロールしていると勘違いすることがある。海の近く、それもビッグウェイブのような大きなパワーに触れるとそれが間違っていることをすぐに察知することができる。
ビッグウェイブに乗ることを自己顕示欲や賞金のためにやっていると思っている人もいる。でも実際にやってみたらそんな理由であんな大きな波に向き合うことはできないってわかると思う。もっともっと大きな意義、Life is so powerful and beautiful それを感じられるから乗りたいんだ。
人生の目的はとても明白だ。海を通して地球に対するリスペクトを示すこと、海でのパフォーマンス、海のことをキッズたちに教えること、そしてサーフスクールを通してそれを行動で示すことが僕のライフワークなんだと思う。

━━━ 最後になりますが、ウインドサーフィンのドキュメンタリー映画でもあり、シュワイツアーファミリーの歴史を辿るような映画が11月末に公開されますが、何年もかけてあなたも制作に関わってきたと聞きますが、出来上がったものを見てどう感じましたか?

この映画はウインドサーフィンの誕生から今まで、そしてウインドサーフィンがいかにいろんな新しいスポーツが生まれることに大きな影響を与えてきたかについて語っているんだ。そして最新の息を呑むようなアクションもたくさん入っている。この映画を見て僕が感じたのは I am so proud to be a windsurfer! ということ。そしてこんな素晴らしいスポーツを生み出し、そのスポーツに人生を賭けた祖父母を心から尊敬している。そして彼らのやってきたことを3代目の僕たちも受け継ぎ、大切にしていこうと思う。シュワイツアー家の一員であることを誇りに思うよ。

インタビュー・文◎岡崎友子(おかざき・ともこ)
鎌倉出身、ハワイ・マウイ島在住。プロウインドサーファー、プロカイトボーダー、オーシャンアスリート。1991年、ウェーブライディングで世界ランキング2位に輝くなど数多くの実績を誇るウインドサーフィン界のレジェンド。カイトサーフィンのパイオニアとしても知られる。現在は、スタンドアップパドル、フォイルサーフィン等、様々なマリンスポーツの楽しみ方を伝えている。また、キッズキャンプを主宰するなど子供たちの環境教育にも熱心である。